
2,3年前だったか、山陰を旅したときに、ある職人さんに出会いました。
フラっと入った島根城下の漆屋さんのご主人で、自分はもう年で体もきかなくなってきてしまったので、もうじき店をたたむとおっしゃる。
店内はどれもすてきなものたちばかりだったのですが、わたしは欅でひかれた漆のコップにとくに惹かれ、たちまちそれが欲しくなりました。
商品棚にはふたつのコップがありましたが、自分用だったので一つでよく、その一つを持ってレジへ。
するとその職人さんは、これはふたつでひとつだから、どうかふたつ一緒に買ってほしい。体を悪くして、自分はもう作れない。もう店もたたむから、ふたつが別々になるのは忍びない。
正直すこし面食らったのですが、そのおじさんの言うことももっともだと思い、ふたつ購入させてもらいました。
職人さんの、自分が心をこめて作ったものへの愛情と、つくったものへの作り手としての責任というのか、
でもそのおじさんが言うことはまったく嫌な感じはなくて、わたしは職人さんの心意気に圧倒された、と言った方がいいでしょうか。
結果として、ふたつ買ってほんとによかった。
いままで大切にしすぎて使っていなかったが、最近思い立って使い出しました。
大事にするあまりしまい込み、結局自分では使わないまま、形見分けで子どもたちに、それらのものたちが受け継がれた。そんな祖母の話がきっかけです。

このコップを使うたびに、あのおじさんを思い出します。
思い出しついでに、今いっしょにそのコップを使っている人に、その話をしたりして。
ふたつなかったら、そんな会話はできませんでした。
娘さんとお店に立っていたあのおじさんは、まだご健在だろうかと、時々思い出します。
自分が気に入って購入したもの、それに関わる作り手、人の思い。
こんないきさつも手伝って、このふたつのコップはわたしにとってはとても大切なもの。
でも、たとえば家族であっても、このコップだけが後に残されたならば、それはただのコップになる。せいぜい「家族が大切にしていたコップ」です。
ものには、人の思いが宿る。人の思いがあるからひとはものを大事にするし、またその逆もしかりで。だれしもそんないきさつのあるものはいくつかあるはずですよね。
もの、人の思い。普通に考えたら、ものはただのものなんだけど。
今乗っている車の中で、新しく購入を検討している車の話をしてはいかんとどこか思う心というのか、そういうのは日本のやおろずの神様に所以するのかなと思ったりします。
あのおじさんがつくったもののような、人に大事に思ってもらえるような(心に残るもの、という)作品をわたしもつくっていけたらなと思います。(これが言いたかった^^;)